トルコの国土は、ヒッタイト、古代ギリシア、ローマ帝国、イスラームなどさまざまな文明が栄えた地であり、諸文化の混交がトルコ文化の基層となっている。これらの人々が残した数多くの文化遺産、遺跡、歴史的建築が残っており、世界遺産に登録されたものも9件に及ぶ(詳しくはトルコの世界遺産を参照)。
トルコの伝統的な文化はこのような基層文化にトルコ人が中央アジアからもたらした要素を加えて、東ヨーロッパから西アジアの諸国と相互に影響を受けあいながら発展してきた。
例えば、世界三大料理のひとつとも言われるトルコ料理は、その実ではギリシャ料理やシリア地方の料理とよく似通っているし、伝統的なトルコ音楽のひとつオスマン古典音楽はアラブ音楽との関係が深く、現代のアラブ古典音楽で演奏される楽曲の多くはオスマン帝国の帝都イスタンブルに暮らした作曲家が残したものである。
建築は、イランとビザンチン双方の影響を受け、トルコ独自の壮麗なモスクやメドレセなどの建築文化が花開いた。その最盛期を担ったのがミマール・スィナンであり、スレイマン・ジャミィなどに当時の文化を垣間見ることができる。
俗にトルコ風呂などと呼ばれている公衆浴場文化(トルコ本国においては性風俗店の意味はなく、伝統的浴場の意である。詳細は下記参照)は、中東地域に広く見られるハンマームの伝統に連なる。逆に、中東、アラブの後宮として理解されているハレムとは実はトルコ語の語彙であり、多くの宮女を抱えたオスマン帝国の宮廷のイメージが、オリエンタリズム的な幻想に乗って伝えられたものであった。
近現代のオスマン帝国、トルコは、ちょうど日本の文明開化と同じように、西欧文明を積極的に取り入れてきたが、それとともにトルコ文学、演劇、音楽などの近代芸術は、言文一致運動や言語の純化運動、社会運動などと結びついてトルコ独自の歴史を歩んできた。
こうした近代化の一方で、歴史遺産の保全に関しては立ち遅れも見られる。無形文化財ではオスマン古典音楽の演奏者は著しく減少し、また剣術、弓術などいくつかの伝統的な技芸は既に失われた。有形の遺跡もオスマン帝国時代以来のイスラム以前の建築物に対する無関心は現在も少なからず残っており、多くの遺跡が長らく管理者すら置かれない事実上の放置状態に置かれてきた。近年は、いくつかの有名なギリシャ・ローマ時代の遺跡やイスラム時代の建築が観光化されて管理が行き届くようになったが、依然として多くの遺跡は風化の危機にさらされている。このような状況に対する懸念も表明されているが、その保全対策は財政事情もありほとんどまったく手付かずの状態である。