330年ビザンティウムはローマ帝国の首都となりコンスタンティノポリス(現在のイスタンブル)と改名された。395年にはローマ帝国が東西に分裂すると東ローマ帝国の首都として前代未聞の繁栄を見せた。
東ローマ帝国は6世紀のユスティニアヌス1世の頃にローマ帝国の版図の大半を回復することに成功したが、その後サーサーン朝との抗争やユスティニアヌス時代の征服戦争などによる財政破綻などから急激に衰退する。7世紀初頭の皇帝ヘラクレイオスはサーサーン朝に勝利したものの、勃興してきたイスラム帝国やスラヴ人の侵攻を受けて版図は急激に縮小し、守勢に転じた。また、西欧諸国やローマ・カトリック教会とも対立を深め、それまでの地中海周辺全体を支配する大帝国から、当時ギリシア人が多数を占めていた現在のギリシャ・トルコ周辺を中心とする国家へと変貌し、公用語もラテン語からギリシア語へと改められた。この時代、現在のトルコに当たる小アジアは対イスラムの前線として、そして穀倉地帯として重要な役割を果たしていた。
9-10世紀になると、東ローマ帝国は国力を回復させて再攻勢に出るようになる。その結果、11世紀初頭にはバルカン半島全土や北シリア、南イタリア、アルメニアなどを支配する大帝国として復活する。しかし、11世紀半ば頃になると再び国力が衰え、東からテュルク民族の侵攻を受けるようになる。
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