第二次世界大戦では中立を維持したが、1950年に成立したメンデレス内閣では北大西洋条約機構、中央条約機構に加盟し反ソ連親西欧路線を取った。しかし経済の不振によって政府の批判が高まると1960年にクーデターが起こり、メンデレスは失脚。処刑された。
その後共和人民党のイノニュ、公正党のデミレルが政権を担当。ソ連との経済技術援助協定の締結(1967年)など外交の多角化が進められたりしたが軍事クーデター未遂や労働者や学生運動などで政情不安が続いた。
1970年代にはキプロス問題で、軍事費が膨らみ経済は悪化し左翼、右翼のテロが相次いだ。
1980年には軍事クーデターが起こり、二院制が一院制に変わるなどの憲法改正が行われ、治安と経済が改善され、民政移管が行われた。しかしクルド問題によるテロなどで国情は不安定であった。
1979年にイラン革命が興ると、キプロス問題で冷え込んでいたアメリカ合衆国との関係も好転。 1991年の湾岸戦争では基地を提供した。
一方政治面では1989年に30年ぶりに文民出身のオザル大統領が就任。その後1993年デミレル大統領。2000年セゼル大統領と続き。政治の文民化が図られた。 2002年には死刑制度を廃止した。 イラク戦争ではアメリカ合衆国への基地提供は議会は賛成したが、定足数にたりず無効となり、事実上提供しなかった。
現在トルコは、ヨーロッパの一員を自認し、EU(ヨーロッパ連合)加盟に向けての交渉を進めているが、キプロス問題や人権問題、クルド人抑圧など複雑な問題を抱えている為、交渉は難航している。
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