トルコでは民族構成に関する正確な調査は存在せず、またトルコにおいては、民族よりもイスラム教徒であることを第一のアイデンティティとするもの、あるいは国籍上の意味合いにおいてのトルコ人であることを優先するものなどが存在すること、その上最大多数派であるトルコ人の定義自体が、アナトリア半島が歴史的に非常に複雑で重層的な混血と混住が行われてきた地域であることもあり、人種的な意味合いにおいてまったく不明瞭であること、などの理由により、なにをもって民族を定義するかということ自体が困難であるため、民族構成に関する数字は明らかではない。
かつてトルコにおいては、国民は一体であるという原則から、トルコ国民はすべてトルコ人でありトルコ語を母語とするという建前を取っていたが、現在では、民族的にトルコ人ではない、あるいはトルコ語を母語としない国民も存在することをトルコ政府は公式に認めている。
少数派の民族としてとしては、クルド人、アラブ人、ラズ人、ギリシャ人、アルメニア人、ザザ人などが存在するとみなされている。とくにクルド人はトルコにおいてトルコ人に次ぐ多数派を構成しており、その数は数百万人とも、一千万人を超えるとも言われている。かつてトルコ政府はトルコ国内にクルド人は存在しないとの立場をとり、クルド語での放送・出版を禁止し、またクルド人にたいし「山岳トルコ人」なる呼称を用いるなど差別的な行為を行っていた。しかしながら、現在においては山岳トルコ人という呼称は用いられることがない。2004年にはクルド語での放送・出版も公に解禁され、旧民主党(DEP:共和人民党から分離した民主党(DP)とは別組織)ザナ党首の釈放と同日に、国営放送第3チャンネル(TRT3)においてクルド語放送が行われた。
クルド人はいわゆる北部クルディスタン、すなわちトルコにおける呼称で言う南東アナトリア地域にのみ居住しているのではなく、トルコにある81の県全てにおいて、地域によって差はあるものの、ある程度のまとまりを持った社会集団として存在している。実際、クルド系政党民主国民党(DEHAP)はトルコ全域において政治活動を行い、総選挙においても得票をあげている。逆に、南東アナトリア地域において居住しているのはクルド人のみではなく、トルコ人、アルメニア人、ザザ人なども共和国成立以前から存在している。1960年以降は全国的な農村部から都市への移住が増加にともないクルド人も都市部への移住が進み、そのため現在においては、クルド人の都市居住者と農村部居住者との割合が大幅に変化しているとみられる。1990年以降において、もっとも多数のクルド人が存在するのは南東アナトリア6県のいずれでもなくイスタンブル県であるとの推計も存在する。一般に都市に居住するクルド人は所得水準が低く、また敬虔なイスラム教徒であり、このことが都市部において大衆政党として草の根活動を行ってきたイスラム系政党の躍進をもたらしたものとする考えは比較的有力なものである。
宗教構成は、宗教の帰属が身分証明書の記載事項でもあることからかなり正確な調査が存在する。それによると、人口の99%以上がムスリム(イスラム教徒)であるが、身分証明書においても宗派は記載事項ではないため、詳細な宗派区分については不明な点も多い。しかし、その大多数がスンナ派であると一般には考えられている。その一方でかなりの数のアレヴィー派も存在し、20%を越えるとも言われる。その他の宗教には東方正教会、アルメニア使徒教会、ユダヤ教、カトリック、プロテスタントなどがあるが、いずれもごく少数である。
人口構成(2000年国勢調査) | |
0-- 4 | 6,033,346 |
5-- 9 | 6,449,363 |
10--14 | 6,615,428 |
15--19 | 6,693,554 |
20--24 | 6,390,252 |
25--29 | 5,845,812 |
30--34 | 5,450,131 |
35--39 | 4,759,742 |
40--44 | 3,899,599 |
45--49 | 3,210,416 |
50--54 | 2,453,379 |
55--59 | 2,062,228 |
60--64 | 1,872,635 |