トルコ政府は近代化改革の総決算として欧州連合(EU)加盟を目指しており、国民の過半数に支持されている。一方、ヨーロッパ側はEU加盟交渉開始の条件として、キプロス問題の解決、トルコ政府が行ってきたクルド人やイスラーム主義に対する人権抑圧の改善を掲げ、EU加盟問題は長らくトルコにおける課題となってきた。
よく誤解されていることではあるが、共和国体制において事実上特権階級化した世俗主義エスタブリッシュメント層は、自己の特権の喪失に他ならないEU加盟に対して、単純に全面的支持を行っているわけではない。とくに世俗主義エスタブリッシュメント層の中でも、実際的権限において中核をしめる軍・司法はとくにその傾向が強い。実際これらの階層は、2度のクーデタ、キプロスへの軍事介入、政党の解散、不明瞭な理由による国会議員や有力政治家の逮捕・投獄・処刑など、EU加盟への課題に明らかに反する行動をとり続けてきた。
しかしその中で改革派に属する政治家たちが、国民の70%が積極的に賛成しているEU加盟をいわば外圧として利用し、極めてわずかずつではあるが、民主化改革を行ってきた。これらの改革派においてはクルド人やイスラーム主義者が、トルコ共和国の伝統的な路線において抑圧の対象であったがために、むしろ重要な勢力を占める。また、一部極端に過激なものを除き、そしてイスラーム系・クルド系政党をふくめ、彼らの求めていることはあくまでもトルコ共和国の改革であって、トルコ共和国の国家体制の根幹そのものを攻撃しようとしているわけでは決してないことに注意する必要がある。例えば、2004年に釈放されたクルド系政党民主党(DEP:CHPから分離した民主党(DP)とは別組織)の旧党首レイラ・ザナは、サハロフ賞の受賞の際にトルコ語とクルド語で演説し、「この受賞は私個人だけのものでなくトルコ全体にとっての受賞である」と表明している。
2003年以降、公正発展党政権は軍との対立を避けながら着実に改革を進めてきた。2004年には一連の改革が一応の評価を受け、12月のEU首脳会談で条件付ではあるものの2005年10月からのEUへの加盟交渉開始が決定された。
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