第一次世界大戦後のパリ講和会議ではオスマン帝国にはセーブル条約が戦勝国から押し付けられた。これは帝国の領土の西をギリシアに東をアルメニアに、さらに南東部をクルド人に割譲するし、さらに首都イスタンブルを国際管理下におくものであった。
これに対し、1920年にアンカラで召集された大国民議会は、ガリポリの戦いで活躍した軍人ムスタファ・ケマルを指導者とし、トルコ革命と呼ばれる、祖国回復運動を展開した。その結果1923年にはローザンヌ条約を締結し、トルコ共和国の樹立が宣言された。初代大統領となったケマルは政教分離、ローマ字採用、女性参政権など近代化政策をやつぎばやに断行した。
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