開催国の決定
開催地を巡っては、FIFAがワールドカップを5大陸による持ち回りで開催することを決定していため、まずアフリカで開催することが事前に決定していた。この枠組みの中で南アフリカのほかにエジプト、リビア、モロッコ、チュニジアが立候補した。
投票前日の2004年5月14日に、リビアとの共同開催を予定していたチュニジアが辞退したため、南アフリカ、エジプト、モロッコの3カ国に絞られた。翌15日、チューリッヒで行われたFIFA理事会での決選投票の結果、14票を獲得した南アフリカに決まった(他モロッコ10票、エジプト0票)。南半球での開催は1978年アルゼンチン大会以来32年ぶりとなる。
予選
予選参加エントリーは、2007年4月現在でFIFAに加盟している208カ国・地域のうちブルネイ、ラオス、フィリピン、ブータンを除いた史上最多の204カ国になる見通しである。ワールドカップ予選は2007年8月にオセアニア地区の予備予選を兼ねる南太平洋予選でスタートする。組み合わせ抽選は2007年11月23日にダーバンで行われる。
出場枠
予選免除の南アフリカを除き、残り31枠を各大陸内で争い、欧州には13枠、アフリカには5枠の出場権が与えられる。また、アジアは4.5枠、以下北中米カリブ海(3.5枠)、南米(4.5枠)、オセアニア(0.5枠)となっており、アジア(5位)対オセアニア(1位)、南米(5位)対北中米カリブ海(4位)の間で大陸間プレーオフが行なわれる。
出場国
アフリカ
南アフリカ共和国(開催国、2大会ぶり3度目)
そして、各大陸予選によって他の31チームが決定
会場
南アフリカ側は当初13会場を用意する意向だったが、2006年3月17日にFIFAから、ヨハネスブルクの2会場の他、ダーバン、ケープタウン、プレトリア、ポートエリザベス、ブルームフォンテーン、ネルスプロイト、ポロクワネ、ルステンブルクの9都市10会場(うち4施設が新設)を使用する決定が正式に発表された。会場名および収容人数は下記の通り。
開催への不安
サッカーワールドカップは、1986年大会が当初コロンビア開催の予定が治安の悪さと国内情勢の悪化から、83年5月にメキシコに変更されたこともあり、今大会も同様の理由から南ア開催が疑問視されている。
南アフリカでは、1995年にラグビー・ワールドカップを開催した実績もあるが、特に2会場のあるヨハネスブルクは「世界最悪の犯罪都市」「世界の犯罪首都」とまで言われ、昼夜を問わず強盗、殺人が多発しており、その他の都市についても治安面が問題視されている(日本の外務省も、ヨハネスブルク、プレトリア、ケープタウン、ダーバンの4都市について「十分注意してください」との危険情報を継続して出している)。南アフリカでの殺人事件の発生率は、日本の35倍、アメリカ合衆国の7倍で、南アフリカ国民もインターネットで、観戦に来るなら十分注意するようにと警告している。
また、最近では電力不足によって相次いだ停電騒ぎにより社会インフラの脆弱さが露呈されており、開催までにこれらの問題を解決することが重要とされているが大会までには間に合わないのではないかとの指摘も出ている。
インフラに関しては完全に不足しており、空港から市街地を結ぶ電車もバスもなく、あらかじめ出迎えの車を手配しておかなくては空港から出ることもままならない。
会場の準備も遅れており、開催が決まったのは04年5月であるにもかかわらず、9つの都市で10スタジアムの新築・改築工事が本格化したのは2007年になってからであった。ドイツ大会が終了した2006年7月になっても、準備のスケジュールさえ作られていなかった。
2007年4月、FIFAのブラッター会長は、もし開催が不可能であれば、既に開催経験のあるイングランド、スペイン、メキシコ、アメリカ、日本を代替候補地として挙げた。その後この発言は撤回されたが、FIFAが南ア開催に不安を持っていることが明らかにされた。2007年7月19日にブラッター会長は南アを訪れムベキ大統領と会談し、建設が遅れている輸送手段と宿泊施設の向上にもっと努力すべきだと伝えた。
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